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epi.01
日本橋オーバーグラウンド
信じろと言われても無理があるのはわかっている。わかっているけれど事実は事実だから、私はそれをそのまま話すことしかできない。 ある日、会社帰りの日本橋で「妖精」に逢った。 うわ、でた、幻覚見ちゃう人、とか思われたくない。これがお花畑いっぱいのファンシーな物語だったら私だってもう少し楽しく話せるんだけど、でも舞台は日本橋だし、現実はもっと地味で、それでいて突飛だった。 とにかく、私はその日、出逢ったんだ。日本橋の妖精に。 まずこの「日本橋の妖精」というネーミングがもう既にアレなのだけれど、私は彼のことをずっと「妖精」と呼んでいたし、彼からもそれ以外の呼び名をとくに教わらなかったから、やはりここでもそう呼ぶしかない。 でも見た目が妖精っぽいのかといわれると決してそうではない。ルックスを表すなら、竹野内豊を三回本気で殴ってから肩まで髪を伸ばした感じ。竹野内豊がベースなら三回殴ってもそこそこ整っているから、竹野内豊はやっぱりすごいと思う。 服装は、秋も深まってきているというのに、膝上のハーフパンツにビーチサンダル。トップスは、ヨレヨレの長袖Tシャツ。その格好で、めちゃくちゃに錆びついた折り畳み自転車をギコギコと漕いで現れるから、トータルで考えると妖精ってよりは不審者っぽい雰囲気がある。荷物をパンパンに詰め込んだコンビニのポリ袋を自転車のハンドルにぶら下げているのも、不審者ルックに拍車をかけていた。 じゃあなんでそんなおじさんを「妖精」と呼んだかというと、まず、彼の姿は、私にしか見えなかった。 妖精の姿は、日本橋にいる観光客や買い物客には見えておらず、ただの会社帰りのOLであった私にだけ、確認することができた。その証拠に、彼が私に最初にかけた言葉は「見えるのか?」だった。 妖精を最初に見かけたのは、日本橋のコレド室町テラスの前だ。 コレド室町テラスといえば日本橋の中でも新しい商業施設で、同僚たちもあそこの本屋が好きだとよく言っている。飲食店も「日本初」とか「関東初」とかが多かった気がするし、文化も食も、最先端がぎっしり詰まっている印象があった。(その近くにコレド室町1・2・3も存在するから、同僚はあの一帯をコレドエリアと呼んでいる) 普段は自宅近くの御徒町で名前も知らないおじいちゃんとお茶しているような私が、何故オシャレエリアである日本橋のコレド室町テラスにいたのか。その日はたまたま、もうすぐ実家から遊びに来る母のために、観光先としてこの辺りを下調べしておこうと思ったのだ。 昔からデートでもなんでも下調べをせずにはいられなかった。些細なことで困りたくなかったし、その場で起こりそうなトラブルを事前に想定できていれば、大事にもならない。だから下調べは私にとって、今でもとても大事なルーティンとなっている。 二十代後半になっても母親相手にこんなことをやっているのが情けなくもあるが、当日にドギマギするよりは何倍もマシなので、その日もこうして、母に東京を案内するために準備をしていた。 そんな私が妖精を発見し、会話することができた理由は、妖精本人も「よくわかってない」らしい。私も気になって本人に聞いてみたが、「心が綺麗だから、とか言うと思ったか? アホらしい。アニメの見過ぎだ」と一蹴されて終わった。 過去にも数名、妖精の姿が見える人間と出会ったそうだが、彼らにどのような共通項があるのか、妖精には一切興味がないようだった。 あれもこれも、分からないことだらけだ。でも、とにかくあの日私は、下見を終えて、御徒町まで帰ろうと思った矢先、日本橋のど真ん中で、妖精と出逢った。 「あんまり、イマドキの日本橋っぽくないな」 お互いに会話ができることを認識すると、妖精は私の頭の先から足元まで見て、そう呟いた。いきなり品定めするように人を観察した上に、「日本橋っぽくない」とは一体何様のつもりだろう。不快な気持ちを隠さずに文句をぶつけると、男は言った。 「いや、オブラートに包んで言うが、俺のことを見えてるやつは今までもっと、シュッとしてるやつが多かった」 全然オブラートに包めていない。 「つまり、私はシュッとしてなくて、田舎っぽいってことですか?」 「いや、なんつーか、もっとこう、御徒町とか、そこらへんにいそうだから」 「いないし!」 私はこうしてウソをつく。 そもそも、どうして私は、妖精の存在に気付けたのだろう。平日の夜の日本橋には本当にたくさんの人がいて、たった一人の、それも面識のない男に注意を向けられるほど、立ち止まってはいられない。 ただ、多くの人が都会の洗練された空間を満喫している中で私だけ浮いてるかもと、確かにその時考えていた。もう少しヒールのある靴でも履いてくればよかったかなと、反省していたくらいだった。 ちょうどその時、同じように、(いや、妖精と自分が一緒とは思いたくなかったが)なんだかいい意味で都会的でない人影を、見た気がした。よくよく目を凝らしてみると、ハーフパンツにビーチサンダルで、錆びた自転車を優雅に漕いでいるおじさんが、そこにいたのだった。 「じっとこっちを見てくるから、おお、見えてんのかなって、気になったんだよ」 妖精もそう言うが、少なくとも秋の日本橋のメインストリートで、錆びた自転車に跨ったビーチサンダルのおっさんがいたら、さすがに目立つし、気になるだろう。それを私はそのまま伝える。 「でたでた。お前ら現代人は、すぐにそうやって外見で人を判断する。ルッキングだっけか?いろいろと問題提起はする割に、根本は相変わらず偏見まみれだ。TPOだなんだと言って、すぐに同じ格好に縛ろうとする」 おそらくルッキズムのことだろうな、と思いながら、確かに私も、妖精の見た目がほかと変わっていただけで、彼を警戒や好奇心の対象にしてしまっていたなと、反省した。だが、そもそも私の姿を「日本橋っぽくない」と言ったのはそっちじゃなかったか。口を尖らせてそう反論すると、妖精はケタケタと笑いながら言う。 「俺は褒めたんだぞ。日本橋は、四〇〇年も前から、もっと自由な場所だ。一本脇の道に入ってみろ。古くから経営してる定食屋とか喫茶店、寿司屋とかが、ひしめき合ってる。どこも味があって、ほっとするいい店ばかりだ。この街はもっと気軽に、自由な格好で、ラクに過ごしていい」 この街のことを妖精は、まるで自分自身の功績のようにぺらぺらと話した。聞いてもないのに続く日本橋トークは、母から突然かかってくる長電話みたいな面倒くささがあった。 「明暦の大火っつってな、江戸時代に一度大きな火事があって、この辺りはぜーんぶ焼け野原になったんだ。それでもこの街は再生して、もっとデッカい市街地なった。商人の街になっていったのもその頃からでさ、今の日本橋にも、そのエネルギーは残ってると俺は思う」 妖精は錆びた自転車に跨ったまま、でもペダルは漕がずにゆったりと進んだ。私は足並みを揃えるようにして、彼の横を歩く。中央通りを歩く人の波は途切れることがなく、妖精はたびたび人やベビーカーとぶつかった。そのたび彼の体はグニャっとスライムのように一瞬溶けて、すり抜けてしまう。 彼の声も、私以外には聞こえていないようだった。つまり妖精と会話すると、私は虚無と会話しているように見えるかもしれなかった。そのことが少し気になって、鞄にしまっていたAirPodsを耳につけて、誰かと電話しているように振る舞いながら、男とのヘンテコなやりとりを続けた。 「俺な、最近は、ホットサンド屋の上に住んでんだよ」 昔の日本橋についての熱弁が一通り終わったところで、妖精はそう言った。 「日本橋にホットサンド屋なんて、あったっけ?」 「最近できたんだ。もともとは江戸前寿司屋のビルでな。今は日本橋グラウンドだったか、そんな感じのビルの名前になってる。一階がホットサンド屋、二階は事務所。三階は、和菓子と酒が売ってる。そんでな、その上は、閉鎖されてるんだけど」 「そこに、妖精が住んでるの?」 「おお、そういうことだな」 不法侵入じゃん、と言ってみたものの、誰にも姿を見られないなら、どう使っても問題ないのだろう。妖精はニヤッと笑いながら、話を続けた。 「あそこのホットサンドはいっつもうまそうな匂いしてるから、お前も母ちゃんを連れて、寄るといい」 そう言うと、妖精は「そろそろいくから」と告げて、急に自転車を漕ぎ始めた。 「え、待って待って? 私、お母さん来るって言ったっけ?」 「んー、続きは、店で話そう。いつでも待ってっから、絶対来いよ!」 錆びきった自転車がギコギコと音を立てて疾走し、あっという間に小さくなったかと思えば、高速道路が上空を走る「日本橋」の真ん中あたりで、ふわりと浮いた気がした。 ――続きは、店で話そう。 何もかも胡散臭い男が言ったその台詞は、なぜか頭から離れそうもなかった。そして私は、そのホットサンド屋がどこにあるのか、見当もついていない。
日本橋オーバーグラウンド epi.01
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